「羽子板」、これはいつの時代からあった物だろうか詳しい事はわからないが、室町時代の書物に初めて見える。永享4年(1433)正月「御所において宮様公卿女官達が紅白に分かれて羽根突に興ぜられた」と記録がある。宮中ではお正月に必ず羽根突きをしてその年の健康を祝いました。現在でも女の子の誕生の初めてのお正月には羽子板を贈る風習が全国各地に残っています。
「押絵」とは後世の押絵細工ではなく表具の貼絵の技法で、宮中の公卿女官達の趣味として衣類の残り布を材料として屏風、香箱等に装飾として使われ当時の上流社会において流行、江戸時代には庶民の間に普及した。
この「押絵」と「羽子板」がいつ頃その別々の歩みの中で融合したのか。時は江戸中期文化文政の頃(1800)江戸では大平の世の中、庶民の娯楽の第一が「歌舞伎」でした。そこで名優、人気役者の舞台姿を「押絵」の技法で作り、おめでたいとされていた「羽子板」に入れ販売したところ江戸庶民に人気を得て、その後明治、大正、昭和、平成の現在に至る。
押絵羽子板作りは歌舞伎の所作事を多く主題とし荒事、和事、舞踊など芝居の筋、演じる役者の心を読み取って作り上げる。