ボランティアガイドによる案内や無料のまち歩きマップを片手に、東京スカイツリーからのすみだのまち歩きをお楽しみください。
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隅田川の景色は、何ものにも代えがたく美しいものです。
かつて、向島に居を構えた文人たちはこの景色を愛し、人を愛しました。
そして、多くの名作がこの地から生まれました。
「すみだ」の街を歩くには欠かせない、外国の人にも評判のスポットです。「向島文学散歩」(300円)を始め、観光マップやパンフレットを豊富に用意しています。
『風立ちぬ』で有名な堀辰雄は、2歳のときに向島小梅町に越してきました。高校入学後に文学に目覚め、大学に進学した翌年には中野重治らと共に、同人誌『驢馬』を創刊しています。
佐多稲子は小学校を中退後、働きながら小説や短歌を投稿。これらは後に、『キャラメル工場から』にまとめられました。自叙伝『私の東京地図』には、長く暮らした向島のことが書かれています。
明治時代の小説家で演劇評論家。新聞社の編集記者として、劇評や小説を執筆していました。『隅田の春』では、向島小梅町や寺島で暮らしていた頃のエピソードなどが書かれています。
10歳のときに父と上京し、向島須崎村の亀井邸へ入りました。その後、向島小梅村に転居。「鴎外」「牽舟(ひきふね)居士」などすみだの地に由来したペンネームをつけるほど、この街に強い愛着を抱いていました。
淡島椿岳は知識欲が旺盛な趣味人で、明治17年に弘福寺敷地内に隠居所を構えました。その後、息子の寒月がこの隠居所に「梵雲庵」と名付けて隠居。悠々自適な生活を送りました。
近代日本を代表する俳人・正岡子規。向島周辺の景色を好み、こうした歌を数多く遺しています。「長命寺 桜もち」の2階を3ヶ月ほど借り、自ら「月香楼」と名付けて滞在していました。
森鴎外の師としても知られる依田學海は、向島の隅田川の土手を臨む須崎村に居を構えていました。向島百花園にも頻繁に足を運び、明治15年に発行された『墨水二十四景記』に百花園について記載しています。
大正6年、25歳の時、吉川英治は花街で知り合った赤沢やすと寺島村で暮らし始めます。本格的な作家活動は『親鸞記』の連載。その後は、『剣難女難』や『鳴門秘帖』で文学作家としての地位を確立しました。
幸田露伴の区内3番目の家「第二蝸牛庵」がありました。園内には露伴の代表作『運命』の碑が建てられています。府立第七中学校(現・墨田川高校)が開校するにあたり、露伴は校歌を作詞しています。
一条実孝公が「正家」と命名し、自ら筆を取った看板を掲げています。十六菊花御紋章の使用を認められた「菊最中」や、明治神宮に献上もされる「栗ようかん」がおススメ。お土産にどうぞ。
マップはこちらからダウンロードできます>>ウェルカムすみだWEBサイト